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4月23日、26日  

4月23日


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武西の造成地。



4月26日

コストコ建設中。

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このエリアはコストコとカインズとパークゴルフ場ができるようです。



小学校の校舎。

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「怪獣の形なんだよ」と娘がずいぶん昔に言ってました。
確かに怪獣というか恐竜というか、そんな風に見えます。
(後ろの方に背びれのような屋根が連なっています)



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雲の後ろから光の帯だけ上下に伸ばす太陽。
神々しいかくれんぼ。



清戸の宗像神社。

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鎮守の杜に覆われた大好きな場所。

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県道工事のため(?)参道の木々は伐採され、鳥居もなくなっていました。

結界を失ったかつての聖域は、漂う空気もすっかり変わってしまっていました。
いずれ何らかの形で整備されるのだとは思うのですが(地面も掘られてるし)、
この日の境内は立っているのがつらくなるような無残な姿でした。


変わりゆく街。
開発と変化を受け入れていくということ。

コストコと神社、たまたま同じ日に回ったふたつの場所で見た光景は
とても象徴的なものであるような気がしました。

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Posted on 2013/04/26 Fri. 23:34 [edit]

category: 散策

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とんぼ・ぼたん  

北総花の丘公園。

自然生態園(Eゾーン)

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自然の地形を生かしたという水辺に設けられた渡り板とログハウス風の東屋。
一歩足を踏み出すと、春先のこの時期にもたくさんのトンボが迎えてくれます。

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太陽の光を反射して光る水面。
羽を休める水鳥。
四季折々いろいろな動植物が見られる憩いの場所です。



Bゾーンへ移動。

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目に鮮やかな新緑。


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文化館近くの入り口わきではボタンとシャクヤクがとりどりの花を咲かせていました。


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Posted on 2013/04/24 Wed. 08:48 [edit]

category: CNT

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MOOSIC LAB 2013 のこと  

おこがましい。
自分が何かについて語るたびにおこがましいことこの上ないと思う。
最初は怖いもの知らずの向こう見ずな衝動で始めてしまったけれど、
そうしているうちにだんだん身の程が知れてくる。
そのコミュニティの中でいかに自分がアマちゃん(素人)で新参で薄っぺらい存在か。
そうなってくるとおこがましさで口をつぐみたくなって消え入りたくなる。
時節柄でたとえるなら新学期の新しいクラスで最初だけ調子付いちゃってる人。

それでもこうして編集画面を開いてしまうのは、何なんだろう。
自己顕示?語るに値する内容も持たず語るべき相手もいないのに。
そんな欲求は自己満足以外の何物でもない。自らで自らを慰めるためだけの表現。
だから最初にブログを始めたとき、それは自慰的行為だと書いた。

の子さんは自分の作品をネット上にアップロードするにあたって同じことを言っていた。
(顕示したい内容に雲泥の差があるのは置いておいて)
自分の苦しみを憎しみを怒りを過去を現在を、思いのすべてを音楽にして映像にして
曝け出し世の中に知らしめる行為。すべての表現=自己開示は自分のため。
自分はここにいると。自分の存在に気付けと。
「かまってちゃん」とはきっとそういうことなのだろう。

そして、ブログ、Twitter、Facebook、etc.
インターネットに集う遍く全ての人を「かまってちゃん」と呼んだ人がいた。
自分がどこで何をし何を食べいつ寝ていつ起きて何を考えどう思ったか。
他人には1ミリの興味もないかもしれない内容を無自覚に・あるいはそうと知りつつ曝け出す。
人はそんなにも自分のことを知ってほしいのだろうか。
自分がここにいることを知らしめたいのか。誰かにかまってほしいのか。

匿名性のもと好意も悪意も偏愛も憎しみもあらゆる混沌が渦を巻く
この見えない網の張り巡らされた世界の中、
かまってちゃんのつながりたがりがりたちがつながる、
そんな瞬間が確かにある。
そこに希望がある。
繋がり、共鳴し、伝播する。
そこにはあらゆる負の要素を凌駕する愛がある。
そんな可能性を狂おしいほどに信じて止まない人。
(インターネットを「優しいおばあちゃん」と喩えられてたのは殊に印象的だった)
その人の作品を観に、めったなことでは出ないこの街を離れて新宿まで行ってきた。



4月19日 MOOSIC LAB 2013。

21:10から上映される竹内道宏監督
『新しい戦争を始めよう』『始めようといってもすでに始まってた』。

どうしても観たいと思った。
家族に行くと宣言したものの、それから戸惑いまくった。
ものすごく映画好きというわけでもなければ、ミニシアターとか単館上映とかそんな世界に
全く無縁な人間だったので、前もって席の確保ができない、たった85席でそれを逃したら
いつ観れるかわからない、というあまりに不確定要素の多い状況。
しかも終電に間に合うかどうかも怪しい。
でも諦める気はなかった。
劇場に問い合わせたところ、受付のお姉さんが丁寧に教えてくれた。
(ほんとにやさしかった。ありがとうございます)
当日整理番号が配られ、その順の入場であること、
前売りを持っていても受付で番号を得る必要があること、
受付開始が10:40であることなどなど。
午後の早い時間でも間に合うかもしれないけれど、やはり不安。朝いちで行くしかない。
娘は応援してくれた。大学の講義まで時間潰しに付き合うと言ってくれた。
夫は若干(実は相当)引いていた。言葉に出さなくてもそれはわかる。
あえてそれを口にしないのはもしかしたら私がネットで悪口を書くのを恐れているのかも
しれない。(そんなことしないよ)

3階までのエスカレーターに4人人が乗った。
危惧していた行列はできていなかった。
そりゃそうか、平日だ。でも行ってみなきゃわからないこと。
折角なので一部二部両方のチケットを買う。
タケウチルドレンの山戸結希監督の作品も観たかった。
整理番号は一部が1番、二部が2番。
先着順でこんな番号をもらうのは長い間生きてきて初めての経験。


一部が終わって入れ替え。
(身の程知らずにもつぶやき済みだしここでは書かない)

丸テーブルの前に座るたけうちさんの姿を見つける。
終電の時間があるからご挨拶するならチャンスは今しかない。
しばしの逡巡のあと、Twitterでの社交辞令を真に受けてお声をかけさせていただいた。
文章と一緒のやわらかい物腰の好青年だった。
ネット上などで拝見するよりももっと可愛らしく若々しく見えた。
自分が相手にどう映ったのかは考えたくないけれど。
緊張で頭の中が真っ白になって自分が何を口走ったのかあまり覚えていない。
一ファンとしての思いをウザく口にし我が身を振り返って「気持ち悪いですよね?」と付け加え、
これはの子さん宅でたけうちさんがの子さんに言ってたのと同じセリフだななどと思っていた。
私のiPadの一番目のタブは常にたけうちんぐダイアリーだし、最近その記事を読み返したばかりだった。
お話をさせていただく間立ち上がってくださったので、いつの間にか椅子は他の人に占領されてしまった。
申し訳なさすぎる。。
上映及び舞台挨拶前の大変なときに失礼いたしました。



一本目の『新しい戦争を始めよう』は2012年のMOOSIC LABで公開された
笹口騒音ハーモニカとのコラボ作品。(→特報6本立て
私は初見。

謎の病が蔓延する東京では一見平和な日常が繰り返される。
時代のうたを歌う笹口騒音ハーモニカ。その言葉はまるで預言者のよう。
病に侵された体で憑かれたように街中へと赴き記録を続け謎を解き明かそうとする竹内。
彼の身を案ずる妹にカメラを託して。

笹口騒音の歌詞がキーワードとなってセリフにちりばめられる。
もはや平和ではない、東京、虹...
フィクションの中に埋め込まれたテーマは実にリアル。
震災の後に撮られた作品であると考えれば尚更。
まさにフェイクドキュメンタリー。
絶望的なまでの焦燥感と使命感と希望と。
希望の象徴のように挿入された虹の映像は殊に印象に残った。

一部で見た2作品もそうだったけれど、夢、東京(自分がその場所にいる意味)
といったテーマはこの作品にもあった。
監督自身、ブログで、また最近なら朝ドラに関するツイートでも語られている。
4月から始まった『あまちゃん』(監督ごひいき能年玲奈さん主演)にも、
同様のテーマが織り込まれている。鑑賞中にふとそんなことを考え、
さらに翌日のあまちゃんでの「動画投稿→反響」というストーリー展開に
竹内監督のこの2作を思い出さずにはいられなかった。
あまちゃんの物語の中でもインターネットが世の中を動かす。
なんだろう、いろいろなことがシンクロしている。
これが「時代」を描いているということなのかもしれない。
そういえば、ここは新宿なので昼間ALTA前を通った。頭の中に
「笑っていいともやってる限り平和だと思ってた」というフレーズが流れていた。

ふと自分を顧みる。
都内まで日帰りで行って来られる距離内の関東で生まれ育って、
そのためか東京志向といったものもなく、
さらに致命的なことにこれといった夢もないままぼんやりとこの年になってしまった。
このどうにも取り返しようのない残念感には抗し難いので話題を戻す。

部屋の窓に小さなチュンちゃんが連なってぶら下がっていた。
トイレの一角に並べられたトイレットペーパーの芯には見覚えがある。
あれらを使ってたけうちさんはクリスマスに誕生日に、ベンチやら塔やらの制作に勤しんでいた。
映画の中ではうみのて人形の腕となって生命を与えられていた。

人形にしたのはフィクションだろうが(多分)、彼は曲に合わせてこんなふうに
何度も何度もシミュレーションを繰り返すのだろう。
きっとどんなファンよりもバンドの曲を聴き込んで頭と体に叩き込んでいるのだろう。
たった1台のカメラで正確に必要な場面を切り取るために。
記録し、伝えるために。

ひとりでも多くの目に耳に届くように。
インターネットという大きな可能性の海に放り込むために。
カメラという武器を手に。

監督の決意表明のように受け取れた。



そして、まもなくこれがプロローグであることを知る。
物語には続きがあった。



始めようといってもすでに始まってた

映画はチッツのパワフルかっこいいライブで始まる。
竹内監督がライブ撮影を始めるきっかけとなったバンド。
映像に重なる文字そして監督自らのモノローグ。

このバンドがなければ竹内監督は神聖かまってちゃんを撮ることはなかったかもしれない。
神聖かまってちゃんという存在が今のような位置にあったかどうか。

少なくとも私はこれほど彼らに思いを寄せることはなかったかもしれない。
私が知るより以前の神聖かまってちゃんはたけうちさんの文字と映像で成り立っている。
彼の文章を何度も何度も読んだ。
ほどなく彼の文章自体に惹かれてブログを訪れるようになっていた。
「かまってちゃんっていうよりちんぐのファンだよね」と娘は言う。
「ていうより」は言い過ぎかもだけど、「だけじゃなく」ならそのとおりだ。

『ロックンロールは鳴りやまないっ』神聖かまってちゃん
ここから神聖かまってちゃん、うみのての2つのバンドのライブ映像が
1曲ずつ交互に映し出されていく。

神聖かまってちゃんは4年前彼がその手で撮影をし、YouTubeにアップロードし、
世に送り出した(といっても過言ではない)バンド。
今は諸事情により撮影ができてもアップロードがかなわないという。
今回そんな貴重な映像の一部を観ることができる、唯一かもしれない(絶対そうであってほしくはない)
機会なのだ。
一方うみのては現在監督が撮影し、アップロードを続けているバンド。
チッツ、神聖かまってちゃん、うみのて。
これはライブ記録映画であり、監督自身の物語でもある。

監督自らが4年間かけて撮影してきた神聖かまってちゃんのライブ。
その映像が日付けと場所のクレジットと共に次から次へと惜しげもなく差し替えられていく。
その量の膨大なこと。
さらには懇切丁寧に歌詞まで添えられている。
撮影だけでなく編集に費やした時間と労力は果たしていかばかりになることか。
想像するだけで気が遠くなるような作業だ。

記憶違いがあるかもしれないけれど、かまってちゃんの楽曲は6曲。
『美ちなる方へ』『ぺんてる』『ロボットノ夜』『僕は頑張るよっ』『学校に行きたくない』

うみのては最近リリースされたアルバム『IN RAINBOW TOKYO』などを聴き始めて
今はこればっかりといっても過言じゃないほど聴いてるけれど、
でもこのバンドについては私などが語るのはそれこそおこがましいの極致なので
他のどなたかにお任せする。


神聖かまってちゃんは主に先日2013年2月15日渋谷AXでのツアー後夜祭のライブ映像。
この日のライブを私はパソコンの前で観ていた。

ツアー開始前の11月16日、メンバーのひとりちばぎんから配信で
「今後ライブ配信はしない」という宣言があった。
それ以来初めてライブの配信が敢行された日でもあった。

もしかしたらこの映画のための映像を撮ることがその理由(のひとつ)だったのかもしれない。
インターネットライブはずっと神聖かまってちゃんを神聖かまってちゃんたらしめるものであった。
パソコンを携えてのの子のパフォーマンスは、ネットポップロッカーを自認するの子が
の子たる所以ともいえるだろう。
神聖かまってちゃんを撮るうえでライブ配信の画面は必要不可欠なのだ。

この日、コメントの流れるパソコン画面を懐かしさと感動で見つめていたことを思いだす。

そして今、目の前のスクリーンには複数台のカメラによって様々な角度から収められた
の子が、ちばぎんが、monoが、みさこが、その日のライブパフォーマンスが再現されていた。
その映像にコメントで埋め尽くされた配信の画面が重なる。

これは、、すごい。
なんという迫力。
臨場感、よりもなお鮮烈で生々しい。

ふたつのバンドのライブパフォーマンスそれ自体もさることながら、
監督の鬼気迫る「想い」に気圧される。
伝わる、わかってもらえる、伝えなければ。信念・信条・使命感。
あるいは過去へのリベンジか。
もっと、そう、インターネットの混沌さながらのあらゆる情念が詰まっているよう。
の子の「表現への衝動」に通じるものを感じずにはいられない。
「撮る者と撮られる者」という以上の何か、共振のようなものさえ見える気がする。
両者の相乗効果でスクリーンはさらに熱を帯びていく。

涙も出ないくらいに圧倒されて、それでも目を離せなくて、
気付けば身を乗り出して、ただただ画面に食らいついていた。

これはきっと愛なんて生易しい表現で片付けうるものではない。
好きなバンドのライブを集めただけなんて気の抜けた話じゃないでしょう。

ここはライブという名の戦場。
これは「戦争」なのだ。

銃の代わりにカメラを手にshootingする
新しい戦争。
インターネットを通じて
世界に向けて。


一見穏やかに見える彼がその文章の中に垣間見せる強い意志、その激しさ頑なさ鋭さ。
それはもうの子さんが千葉ニューのカミソリならば明石の千枚通し(明石焼き用)くらいな。


と、勝手な感想を並べてしまった。
決してわかったつもりになってるわけではなく。
こういうのは迷惑至極だろうな、とも思う。
そもそも作り手の云々とか感じ(た気になっ)てほしくないのかもしれない。
ただあまりにも強烈すぎて、思ったこと感じたことを何とかアウトプットしないとこの場から動けない。
実際この数日はそんな感じなのだから仕方がない。(年を重ねるほどに開き直りというのを覚える)


この作品を観て思ったのはたけうちんぐダイアリーの映像化のようだということ。
見慣れたあのページの写真が、ライブが、語り口が、音と映像を伴って再現されている、
そう思った。
映画の最後、の子の表現に擬えるようにこれは「日記」だという言葉で締められたので、
あながち遠い印象でもないのかもしれない。

そう。戦いはすでに始まっていて、そして、これからも続くのだ。


それにしても仙台のフリーライブで「復興できました、僕が」っていうの子がよかったな。
あくまで自分を主体に。敢えてそういう語り方をするの子がいい。

開始早々千葉ニュータウンの駅とアルカサールがスクリーンに広がったときはおわっ!となった。
それは監督がの子宅を訪れたときの映像で、つい先刻思い出したばかりの記事が動画となって
画面にあった。
それはおいしい感謝のシーンで、やはり牛乳が倒れないかとても気になった。(一度は危なかった)
牛乳はこぼすと洗っても臭いは残るしカピカピになるので非常に厄介なのだ。
(の子さんがそれを気にするとは思えないけど)
たけうちさんがあらゆる表現で見せてくれるこんなふうにふわっと弛緩できる瞬間も私は好きです。

と、思いつくまま書いてしまったけれど。


しかし、これはライブのようではあるけれど、一回こっきりの刹那性をよしとするような類のものではない。
こんな凄まじいものをこの人数でこの場で観るだけになってしまうのは絶対にもったいなすぎる。
私だってもう一度でも何度でも何なら毎日でも観たいし、未だに引きずっている。
本当に引きずっている。


そしてやはり観終わったあとには熱い熱いライブをこの身で体感したくなる。
そんな映画だった。


素晴らしい作品をありがとうございました。




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Posted on 2013/04/22 Mon. 18:26 [edit]

category: 神聖かまってちゃん

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